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アマゾンのヒポクラテス(2)

Part3 ペルー

 アマゾンのヒポクラテスは、これらの知識はアヤワスカを飲んで得たとおっしゃる。言いかえれば、なぜ効くのかという医学的根拠・理論もエビデンスもへったくれも何もないのです。しかし、効くから効いているのであって、それで私も使っているわけであって、効きもしないくせに副作用ばかり多い現代医学の高価な薬より、よほどましではないのか、アヤワスカからの知識だと言って、どこか非難されることがあるのか、ええ、どうなんだ、現代医学のヤブ医者たちよというわけです。まさに、正論そのものです。
 また、また、目を開かされました。徹底した現場主義であり、経験主義であり、理論をがたがた言ったって仕方がないだろう、患者さん、あんた、効いたらそれでいいのだろう、と言うわけです。医療の究極の目的は病を治すの一言であって、理論なんぞどうでもよろしいのであって、十分なエビオデンスがないとかどうとか言っている暇があったら、一人でも治せ、このバカたれ医者と叱咤されそうです。古代ギリシアのヒポクラテスさえ、ここまで徹底していません。彼なりに理論っぽいことを言っています。しかし、アマゾンのヒポクラテスには理論をこねる時間も道具もないのです。

 インターネットのおかげで、最近の患者には、少なくとも自分の病気に関しては専門家をしのぐほどの医学知識を持った人がいます。医者にとっては手ごわい患者です。きっちりと理論武装して来られる。そして、さぁ、エビデンスに基づいた医療で治してくれよと言うわけです。しかし、こういう患者にかぎって治りがよくないのです。なぜか? それは、医者のさじ加減というあいまいさを嫌うからです。ファジーな治療を頭から拒否するのです。しかし、人間の存在自体が実にあいまいなものであって、また、本当のところ現代医学の理論など、100年後の医学から見ると、おそらく間違いだらけの欠陥理論にすぎないのです。つまり、実にこざかしい理論武装なのです。言いかえれば、現代医学の限界がよく認識されていなのです。
医者が、何万人、何十万人という患者と接して積み上げた、膨大な「感覚」や「感触」は、今の医学レベルでは決して理論化できないのです。すべての血液検査・尿検査のデータは正常とでている。CTもMRIも正常。しかし、話しているうちににおってくる微妙な口臭やどす黒く張りのない肌は、どこか、たぶん肝臓に深刻な病巣があるはずだという直感をぬぐえない。したがって、念のために、かくかくしかじかの治療を今から始めておいたほうが無難である。しかし、医薬品をのむほどではない、ビタミンやハーブほどのサプリメントでいいでしょう、どうですか、未病のうちに治しておきませんかと言っても、たいていは、うさんくさい医者だということで拒否されます。ひどい場合は、健康保険のつかえないサプリメントを売って荒稼ぎする医者だとかんぐられます。なぜなら、こざかしい知識によって邪魔され、データにでた数字の方にしか信頼を置けないからです。そして、一年後には肝臓がんが発見され、その時点ではもはや手遅れとういうことがあるのです。

 この現代医学の限界に対する無知は、一部の人にとっては、「白亜の病院に行き、きっちりとエビデンスに基づいた医療を受ければ、病気は治ると」という一種の信仰のようなものにさえなっている気配があります。「脱病院化社会」を唱道する僕としては、「病院は院内感染や過剰医療の危険性がいつもつきまとう場所である」と言いたいくらいなのですが、現代は人類史の中でもかなり深刻な医療暗黒時代のようなのです。


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